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2014年8月11日 (月)

「恵みの測り綱」

                詩篇16篇1~11節

 69年間平和が保たれた日本に、一層神様の憐れみと御旨を祈り求めましょう。
1.信仰といのち
 
「あなたこそ、私の主、私の幸いはあなたのほかにはありません」 とダビデは告白します。ダビデは15、16歳で聖書の歴史に登場、30歳でイスラエルの王とされるまで絶えずサウル王に追い回され、逃亡生活を強いられていたのです。偉大な指導者とされるため神様が備えられた道のりと貴重な訓練、お取り扱いであったのです。こうして 「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。・・・」 と語ります。
2.信仰による希望
 
ダビデはサウル王を主に油注がれた方として、決して自分から手をくだすことはしなかったのです。狙おうと思えば機会が幾度もあったのです。あるとき洞窟にダビデが隠れていることを知らずにサウル王が近くまで入って来て、用をたすということが起こりました。このときダビデは心が揺らぎ、サウル王の上着の裾を切り落としてしまいました。この時以来、一層ダビデは神を恐れて慎みました。(第Ⅰサムエル24章) 神に愛される人は、憐れみ、悲しみのない人ではありません。人一倍苦難の中にあっても、主に守られ、練られ、鍛えられ、信仰を全うする人です。
3.信仰と恵みの測り綱
 
信仰とは、時間空間を超えて目に見えない霊的世界の深みを悟ることです。そこで私たちは 「現状はこうです。しかしこのところから神様あなたのみわざと栄光を・・・」 と祈っていくことです。すべてのことの中に神を認めて祈ることができます。ダビデは 「測り綱は、私の好む所に落ちた」 と告白をします。
 「測り綱」 とはへブル語でカノンです。物差し、尺度、基準を表す言葉です。ダビデにとって 「神の物差し」 それが信仰の基準であったのです。神の御旨に沿って広い展望へと導かれるお方です。まことに私へのすばらしいゆずりの地とも証します。そこからすばらしい信仰生涯とされるのです。信仰と希望は主イエス様にあります。信仰の円塾は、聖霊に満たされ、聖霊に導かれてこそ可能とされるのです。

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