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2014年7月27日 (日)

「黙し、神を待ち望む魂は」

                 山村論牧師

               詩篇62篇1~12節

 詩篇 62 篇は原文によると 「ただ、のみ、こそ」 という語が節の冒頭に繰り返し用いられている特徴があります。語順を意識して訳すと 「ただ、神に向かう、わが魂は黙って。私の救いは神から来る。」 となります。魂は沈黙しますが、言葉の活動を停止して黙っているのではありません。むしろ言葉は鋭く活動しています。襲い掛かる悪に対して、実態を見抜き、欺瞞と暴行を戒める発言をしています。
 5節は 「ただ神に向かえ、わが魂よ」 と魂へ命じます。魂を神に向かわせる詩人は、神こそ力の岩と避け所であることを告白し、さらに民に呼びかけて 「民よ。どんな時にも神に信頼せよ」 と語ります。エドトンは、神の宮で奉仕した指導者で、賛美しつつ預言した者でした(Ⅰ歴代25章)。王は詩篇を通して民全体に語りかけ、賛美は預言として民の心に響き渡っていきます。
 10節は 「圧制に頼るな」 「略奪にむなしい望みをかけるな」 「富が増えても、それに心を留めるな」 と呼びかけます。敵の迫害を受けるとき、力で応じたくなる衝動に駆られます。奪い取って自分の利益にできるものがあるとき、それに手を伸ばしたくなる。富を蓄積すると、そこに力の源があるように錯覚してしまう。圧制にたより、略奪に望みをかけることは、「むなしく」 「偽りだ」 と詩人は洞察しています。
 11、12節は、神が語った一つのことの中に、二つのことを聞いたと解することもできる箇所です。詩人が聴き取ったのは、力は神のものであり、恵みも主のものという二つのことだと言えます。ただ神にのみ望みを置く魂は、危険を見極め、欺瞞を暴き、忍び寄る誘惑に警戒し、信仰の姿勢を正す言葉を獲得し、結びに 「力は神のもの、恵みも主のもの」 という大切な信仰の認識を得ました。この重要な認識は、神の言葉を 「聞くこと」 によります。黙ってただ神を待ち望む、そんな芯のある信仰は、神の御言葉を聞くことを通して養われます。時代はいつも不安を増大させる方向にありますが、ただ神に向かう魂は、いつも心強いのです。御言葉の確信に立たせていただきましょう。

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