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2014年2月

2014年2月25日 (火)

「人生の軸足」

                使徒2章29~40節

 イエス様が約束された聖霊についてペテロは大胆に説教しています。
1.御霊による認罪
 
ペテロは、このとき別人のように力強く説教しています。これを聞いた人々は心を刺されるという経験をし、「私たちはどうしたらいいのか」 と叫んでいます。彼らの心の中に聖霊による変革が起こっていたのです。わが身のこととしてしっかり受け止めたいと考えます。聞き流してはおられないという意識が心にわき起こるのです。
2.御霊のなすわざ
 
この曲がった時代から救われなさいと宣言しています。その日3千人ほどが弟子に加えられたとあります。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、・・・わたしの証人となる」 とのイエス様の約束の通り、聖霊が、限りない成長の基とされています。至るところに御霊なる神様のダイナミックな力と励ましとが記されています。ユダヤ人の前でも異邦人の前でも大胆に主を証し続けています。アンテオケ、ローマを中心にキリストの御名の勝利を現わすため、聖霊に励まされつつ、遣わされ、用いられています。
3.御霊による生き方
 
ペテロの言葉を受け入れた人々は、しっかり使徒たちの教えに堅く立とうとしています。初代教会の人々は、神のことばを実生活に当てはめようとしたのです。
 聖書の原理、原則を尊重して、聖霊なる神様に耳を傾けています。聖霊に教えられ、自分の過ちを示され、その歩みが神の祝福につながることを願っています。アンドリュー・マーレーは 「あなたのうちにキリストの臨在を示す聖霊は、あなたとともに、いや、あなたのうちにおられます。これは、聖霊のご事業です。聖霊により頼み、聖霊にゆだね、聖霊を待ち望みなさい・・・」 と語ります。
 「聖霊が臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」 との主の約束にどれくらい信頼を置いているでしょうか。聖霊を私たちの人生と信仰の軸足とさせて頂きたいと願わされます。私たちは 「わがうちに生きるキリスト」 を現実の生活の中で意識し、ぶれることなく聖霊の細き御声を聞き分け、主の証人として用いられるように祈りましょう。
 

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2014年2月17日 (月)

「信仰のための戦い」

                    井上慎治神学生

                  ユダ 1~25節

 ユダの手紙は 「ひそかに忍び込んできた者たち」、すなわち 「不敬虔な者たち」 によってもたらされる信仰者たちの危機についての説明、信仰者への励ましが記されている。
 ユダは(5-8)出エジプトの民、自分の領域を捨てた御使いたち、ソドムとゴモラの引用により、一度信じた者でも自分の欲望のままに歩む者は永遠の滅びに入れられることを信仰者に思い出させようとしている。地上の権威を主張してミカエルを妨げた悪魔に、ミカエルは神こそが地上世界の権威者であると知りながらあえてそしらなかった。自分の欲望を神の幻と誤認する 「夢見る者(8)」 不敬虔な者たちは、心の状態と言動において知りもしない神の権威をそしる者である。わきまえのない動物のように欲望のままに生き、滅びる(9-10)。
 旧約の人物カイン、パラム、コラは自分の罪を自覚していなかった。同じく不敬虔な者は、自分の問題を自覚せず利益を求め迷い、最後は滅びる愛餐のしみ。自分を信仰者とし宴を張るが信仰者という舟を座礁させる水底の岩、その本質は自分だけを養っている(12)。
 信仰者への励まし(22~23) 「聖」 は地上への望みを捨てた状態であり、「聖い信仰」 とは自己中心的な欲望を捨て、ただ神への信頼に立つことである。
 ユダは6-19節で、不敬虔な者が全く救われる余地のない、初めから滅ぶべき存在であると永遠の神の視点から事実を語る。宛先の信仰者たちにとり、誰が不敬虔な者かは分からない。忍び込んできた者は自分がそうであるとの自覚がなく、信仰者として歩んでいる。
 ユダはキリストを信じる者でも迷い出る可能性があると語る。これは神の視点からの区別であり、人間には分からない。だからこそ、神に信頼し続けることを勧めている。
 ユダの手紙は、自分自身を注意深く省みる必要を教えている。アダムとエバのように罪は自己認識を歪ませ、自分の真実な姿を見えなくさせる。気付かないうちに迷いに陥っていないかとの自己究明により、低くされ、神への信頼に立ち続けることです。
 信頼すべき神は、私たちをつまずきから守り、傷のない者として大きな喜びをもって御前に立たせることのできるお方、救い主である唯一の神である(24節)。
 心の高慢を捨て、自分が罪に無力であることを自覚、私たちの罪を背負って死に、赦してくださったイエス・キリストを主とし、彼への信頼に立ち続けること、それが 「信仰の戦い」 である。
 

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2014年2月11日 (火)

「この時をいかに」

                ヨハネ16章1~20節

 イエス様は私たちのもとに助け主なる御霊(聖霊)を送ってくださいました。
1.御霊なる神
 
私たちがつまずくことのないようにイエス様の大きな配慮が備えられています。イエス様は 「あなたがたを捨てて孤児とはしない」 と約束されています。イエス様は、この時弟子たちのもとを去って行こうとされておりました。しかし、助け主として聖霊を送ってくださるというのです。このお方により頼むことが確かであり、間違いがないのです。
2.御霊の働き
 
イエス様は 「この方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」 と語ります。罪はハマルテイアで意味は 「的はずれ」 です。罪は人間の心を蝕み、麻痺させる恐ろしいものです。義とは、罪を悔い改めた者が神からいただくものです。主が心を探り、思いを調べるのです。さらに 「さばき」 とは、罪について神の裁きがあり、主は信じるすべての人の罪を代わって受けられました。
3.御霊への信頼と傾聴
 
「真理の御霊は、すべての真理へと導き入れる」 とあります。真理とは 「キリストの真理」 「 キリストの愛と救いの真理」 です。聖霊が働くと、聖書のみことばに霊的洞察が深められ、ほんとうにその通りと理屈抜きにアーメンと主を仰ぐのです。
 イエス様は、あなた方は天候を見分けることが出来るのに、どうして今のこの時代を見分けることができないのか、と忠告されます。イエス様は、私たちの生き方に最高の愛の配慮と関心を持っておられます。この世の終わりの時に 「キリストのさばき」 があることを覚えるとき、身の引き締まる思いを感じます。この時代をいかに生きるべきか、神の前に厳粛な思いと真実をもって祈り求め、主に忠実でありたいものです。私たちは、主が与えてくださった学校、職場、家庭、そして教会があります。それぞれ置かれた所で終末であるとの意識の中に、目を覚ましつつ歩みたいと思います。いかなる時代にも神のみことばと聖霊の助けによって主に喜ばれる行き方を選びとっていきましょう。

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2014年2月 3日 (月)

「キリストの愛、赦しの恵み」

                  使徒20章18~20
 
エペソ教会の長老たちをミレトに呼び寄せ説教するパウロです。
1.神の教会とは
 
エペソはパウロが一度は聖霊により宣教がとどめられた地です。そこで主の前に謙遜に仕え、涙を流し祈ったのです。ユダヤ人の妨害にも会い、苦しみの中でも誠実に主に仕えたと告白、神への悔い改めと主イエスに対する信仰を強調しています。
 パウロはこの時エペソの長老をミレトに呼び寄せ説教しました。この教会について、パウロは 「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」 と語ります。キリストを信じ、罪赦され、神の子とされた人々の群れです。パウロが語るキリストの教会観です。
2.神の教会の働き
 
パウロは 「聖霊は、神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるため」 と語ります。「牧する」 とは羊を飼うことを意味します。羊の食物、それは 「神のみことば」 です。「聖霊があなた方を群れの監督にお立てになった」 とあります。
 パウロは一人一人の霊的状態を知って、いつでも 「主とのいのちの交わりに生きる」 ことを語ったのです。聖霊が私たちを用い、その働きが救霊、育成、派遣と展開されます。
3.神の教会の勝利
 
エペソの教会の長老たちに 「私が出発したあと、凶暴な狼があなた方の中に入り込んで、群れを荒らし回る・・」 と忠告するパウロです。エペソ書では 「主にあって、その大能の力によって強められなさい。」 と勧められています。「主にあって」 です。
 「主に結び付けられて」 こそ、確かな勝利を体験できるのです。そこで尽きることのないキリストの無尽蔵の力を知り、堅く信仰に立つことが出来るのです。どんな時でも主は私たちの近くにおられます。私たちの願いは、世界中に 「キリストの愛と赦しの恵みが浸透する」 ことです。ここに私たちの困難を窮める時代に生きる希望があります。
 聖霊の励ましと押し出しによって、大胆に証し、影響を及ぼし、インパクトを発揮できるのです。欠けだらけの地上の教会ですが、主に拠って堅く立ち続けるのです。 

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